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坂口安吾 桜の森の満開の下 短評

坂口 安吾 『桜の森の満開の下』
桜は誰が見ても美しい。

それを恐ろしいと表現した作家。

坂口安吾。

あまりにも美しすぎるものに逆に恐怖することを描く。


『桜の森の満開の下』(さくらのもりのまんかいのした)は、坂口安吾の短編小説。坂口の代表作の一つで、傑作と称されることの多い作品である。ある峠の山賊と、妖しく美しい残酷な女との幻想的な怪奇物語。桜の森の満開の下は怖ろしいと物語られる説話形式の文体で、花びらとなって掻き消えた女と、冷たい虚空がはりつめているばかりの花吹雪の中の男の孤独が描かれている。Wikipedia


花火を見て、どこか寂しくなったり、
夜景を見て、どこか心がざわついた経験はないだろうか。

この小説では美しい女と桜を重ね合わせるように描き、それがなんとも恐ろしい雰囲気を漂わせている。

さらにその美しい女を形作っているのは顔単体でなくて、彼女がつけている装飾品や化粧によってだ。

その装飾品はそれ単体では何も意味をなさない。
が、女と紐づけられることで魔力的な魅力を発揮する。
グッと引き込まれる文章表現。


色々の飾り物をつけたすことによって一つの姿が完成されて行くのでした 。男は目を見はりました 。そして嘆声をもらしました 。彼は納得させられたのです 。かくして一つの美が成りたち 、その美に彼が満たされている 、それは疑る余地がない 、個としては意味をもたない不完全かつ不可解な断片が集まることによって一つの物を完成する 、その物を分解すれば無意味なる断片に帰する 、それを彼は彼らしく一つの妙なる魔術として納得させられたのでした 。


断片的な着飾る道具も
美しい女と合わさることで一つの魔術的美しさを帯びる。

なぜダイヤモンドや宝石、化粧品、バッグなどに法外な値段が付いているのか疑問に思ったことがあるが、それ単体としての価値にプラスして、それを手にすることによって得られる価値に対価を払う。


人は価値を自らの力で見出し、対価を払う。


彼は模様のある櫛や飾のある笄をいじり廻しました 。それは彼が今迄は意味も値打もみとめることのできなかったものでしたが 、今も尚 、物と物との調和や関係 、飾りという意味の批判はありません 。けれども魔力が分ります 。魔力は物のいのちでした 。


美しいものに人間は本質的に惹かれている。
「ダイヤモンドは高いものだ。」
という価値観が刷り込まれているが、実際それを心から美しいと感じ、喉から手が出るほど欲しい人がいるから価値が高まる。

ダイヤモンドを持っていると、お金持ちのようなイメージを持てるから買う人もいるかもしれないが、本質は美への探求。

女の果てのない欲望。
男の溺れていく欲望。


人間が感じる美しさ を描いた小説では、坂口安吾が一番好きだ。

川端康成が描いた雪国の美しさ。
芥川龍之介が描いた滅びの美しさ。

坂口安吾が描いた溺れる美しさ。
面白くてたまらない。


空は昼から夜になり 、夜から昼になり 、無限の明暗がくりかえしつづきます 。その涯に何もなくいつまでたってもただ無限の明暗があるだけ 、男は無限を事実に於て納得することができません 。その先の日 、その先の日 、その又先の日 、明暗の無限のくりかえしを考えます 。彼の頭は割れそうになりました 。それは考えの疲れでなしに 、考えの苦しさのためでした 。


桜の森の満開の下

ぜひご一読あれ。

#書評 #評論 #坂口安吾 #小説 #コラム


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コメント3件

私は桜の森の満開の下から坂口安吾を知りました。岩波文庫の桜の森の満開の下には坂口安吾のその他、美しい短編があるので是非読んでみて下さい。
uunosukeさまコメントありがとうございました。私も文字通り安吾の美学に溺れております。岩波文庫版では読んだことがなかったので、読んでみたいと思います。書評を書いた時にはまたお越しくださいませ。
わざわざ返信をありがとうございます。書評を書かれた時はまたきますね!
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