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【空想】キリンジと中原中也

◯詩人という職種を巷で聞かなくなって久しい。

インターネットによる情報の氾濫はこの世の中を有象無象の玉石混交時代に導き、良いものも悪いものも、全てごった煮にしている。
例えば、YouTubeでは読み解くのに時間のかかるコンテンツは埋もれやすいのが通例だ。

ひるがえって詩を読むときには一手間(解釈)が必要な上、その解釈に正解は存在しない。
加えて「詩が好き」「詩を読む」などと言ってのけると

「ポエマーわろすwww」だの「ポエムくん」だのあだ名が付き、
いわゆるイタイ人の烙印を押される。

だが、中には、美しい日本語に出会いたい、触れたい、感じたいという人も少なからずいるはずだ。
探せば、若手詩人で私の心をえぐりとるような詩を書く人も中にはいる。
しかし、石川啄木や中原中也、茨城のり子、谷川俊太郎といった巷に広く知れ渡る詩人は思いつかない。
知られることが目的ではないし、広く知られているからといって良いものではない事は大量生産されているポピュラーミュージックの教えるところだが、上記の詩人たちが生きていた時代、確かに詩を読む読者層がいたはずである。
現代の世において彼らのような読者層は
どこで日本語詩に触れているのだろうか?

少し考えてみたいと思う。

◯過去の詞世界に触れる人々

まず詩的表現を愛でていた人らが向かう場所の一つは過去の作品。

蘇って演奏のできないロックバンドと異なり
今生きてる作家にとって、全ての死んだ作家がライバルだ。と最近気になっている作家さんが言っていた。

ここで中原中也を見てみる。(以下続く例は完全に筆者の好みが丸出しw)

汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる

汚れつちまつた悲しみは
たとへば狐の皮裘(かはごろも)
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる

汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
倦怠のうちに死を夢む

汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところなく日は暮れる・・・・・
『山羊の歌 より汚れちまつた悲しみに』 中原中也

具体的ながら抽象的だ。どこの国にいてもどこの時代にいても読める。
そんな不思議な感じのする詩である。

◯ロックバンドの詩的世界観に触れている

抜粋するのはキリンジ。

一部抜粋

戸惑いに泣く子供らと 嘲笑う大人と
恋人はサンタクロース
意外と背は低い 悲しげな善意の使者よ
あいつの孤独の深さに 誰も手を伸ばさない
歩行者天国
そこはソリなんて無理
横切ろうとするなんて気は 確かかい?
「赤いオニがきたよ」と 洒落てみるか 遅れてここに来た
その訳さえ言わない
気弱なその真心は 哀れを誘う
永久凍土の底に愛がある
玩具と引き替えに 何を貰う?
My Old Friend、慰みに
真っ赤な柊の実を ひとつどうぞ さあ、どうぞ
(中略)
帝都随一の サウンドシステム
響かせて 摩天楼は夜に香る化粧瓶
千年紀末の雪! 嗚呼、東京の空を飛ぶ 夢を見たよ
君が待つのは 世界の良い子の手紙
君の暖炉の火を 守る人はいない
この永久凍土も 溶ける日がくる
玩具と引き替えに 都市が沈む

『千年紀末に降る雪は』 掘込高樹

欲望に満ち溢れた都市東京を鮮やかに写し出し、それに応じるサンタクロースの悲哀を描き出す。
これをそこそこ明るい曲調に乗せるのだから、切ない。

続いてASIAN KUNG-FU GENERATION 

​午後になって太陽が
濡れた頬を乾かして
静かに燃える日々の
頼りない輪郭をなぞった

そこにただ在るだけで
そのままぎゅっと引き寄せて
わけもなく抱き締めて
こと切れるまで

モノクロの葬列を
見送った町外れの
丘からは鈍色に
立ち昇る悲しみが見えたんだ

そばにただ居るだけで
涙がそっと流れ落ちて
祈る前に抱きしめて
朽ち果てるまで
血の味のしない
僕らの魂
手繰り寄せた手が震えていたんだ
『生者のマーチ』 後藤正文

辛い時、
独り帰り道をとぼとぼと歩いてる時、
何か大切なものを失った時のための
鎮魂歌のような趣がある。
聴いてて悲しいのに落ち着く、不思議な歌である。

最後にくるり

僕が何千マイルも歩いたら
手のひらから大事なものがこぼれ落ちた
思い出のうた口ずさむ
つながらない想いを土に返した
土に返した

今なんで曖昧な返事を返したの
何故君はいつでも そんなに輝いてるの
翼が生えた こんなにも
悩ましい僕らも 歩き続ける
歩き続ける

つまらない日々を 小さな躰に
すりつけても 減りはしない
少し淋しくなるだけ

ハローもグッバイも
サンキューも言わなくなって
こんなにもすれ違って
それぞれ歩いてゆく
『ワンダーフォーゲル』岸田繁 

最初、夢を抱いていた若者がその後
様々な想いを妥協し、社会に揉まれていく中でその想いを「土に返していく」そんなもの寂しさを感じる。

それか仲良かった小さい頃の友達がふとしたきっかけで離れ離れになり疎遠になってしまった歌にも聞こえる。
または、男女の幼馴染の切なさも感じる。


◯僕たちの詩的世界は歌に残る

ここまで薄っぺらな論考を重ねてきたが、失ったのかもしれない美しい日本語や音韻は歌の中にそっと生き続けているのかもしれない。

カラオケで歌ってみて、ハッと気づくことも多いほど、普段「歌詞」というものに私たちは無頓着かもしれないが、
気づいてみるとそこにあるかもしれない探しもののようである。




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