荷風の愛した東京

永井荷風の『濹東綺譚』。

震災後の東京を戦前日本を街歩きおじさん荷風はどう見たのか。

ここでまず語られるのは江戸東京の喪失。

さらには西洋的なものと江戸的なものがうまく混沌としていた明治東京の震災による喪失を新興風俗街 玉の井から描く。

荷風が本文中で嘆いているのは、およそ言われているような日本的なものではなく、東京人の変質である。

「東京では江戸のむかし山の手の屋敷町に限って、田舎から出て来た奉公人が盆踊りをする事を許されていたが、町民一般は氏神の祭礼に狂奔するばかりで盆に踊る習慣はなかったのである。」

「わたくしは東京の人が夜半過ぎまで飲み歩くようになったその状況を眺める時、この新しい風習がいつ頃から起ったかを考えなければならない。吉原遊郭の近くを除いて、震災前東京の町中で夜半過ぎて灯を消さない飲食店は、蕎麦屋より外はなかった。」

歴史の教科書で江戸の文化を取り扱うため、日本の全体的なものと捉えられがちだが、これは一つの地域に花開いた江戸文明でもあった。

地方にはその地方の文化や風土にあった文明があり、上方と江戸では美意識も、味覚も違う。

教科書が描く日本というのは単一であり、一つのなにかを共有したもののように見えるが、荷風が描く東京の民衆からはそれは見えない。

そこには街ごとの人々の姿があり、都市のアイデンティティーが失われていく過程があった。

それをどう筆で描き、残していくか。荷風の試行錯誤していく様が伝わってきた。

今の我々は荷風が新興やら現代的と断ずる震災後の復興建築や昭和モダンなどを古いものとして愛好する。

その都市のアイデンティティーとはなにか。

何を未来に残していくべきなのか。

変化が東京という街の宿痾なのか。

様々な示唆に富んでいた。

その中で、震災後の銀座の変貌をこう断じている。

「震災前表通にあった商店で、もとの処に同じ業をつづけているものは数えるほどで、今は 悉く関西もしくは九州から来た人の経営にゆだねられた。裏通の至る処に海豚(フグ)汁や関西料理の看板がかけられ、横町の角角に屋台店の多くなったのも怪 しむには当たらない。地方の人が多くなって、外で物を食う人が増加したことは、いずこの飲食店も皆繁昌している事がこれを明にしている。

地方の人は東京の習慣を知らない。

最初停車場構内の飲食店、また百貨店の食堂で見覚えた事は悉く東京の習慣だと思い込んで いるので、汁粉屋の看板を掛けた店へ来て支那そばがあるかときき、蕎麦屋へ入って天婦羅(てんぷら)を誂(あつら)え断られて訝しげな顔をするものも少な くない。飲食店のガラス窓に飲食物の模型を並べ、これに価格をつけておくようになったのも、けだしやむことを得ざる結果で、これまたその範を大阪則ったも のだという事である。」

本編中にも、玉の井でのやり取りで下町言葉が出てくることから震災後の新奇でどこかあっけない風潮や流入する地方文化から逃れるように玉の井へと通っていたのだろうと思う。

冒頭、山谷堀付近の本屋の老人を訪ねる場面でも、「その顔立ち、物腰、言葉使いから着物 の着様に至るまで、東京の下町生粋の風俗を、そのまま崩さずに残しているのが、わたくしの眼には稀こうの書よりもむしろ尊くまた懐かしく見える。」と江戸東京、下町への憧憬が通底している。

荷風は小説を書く際に最も興を起こすと言う場所の選択とその描写をするところに玉の井(現在の東向島)を選択した。

「震災の後(のち)新しき町が建てられ全く旧観を失った、その状況を描写したいがために、(中略)本所か深川か、もしくは浅草のはずれ。さなくば、それに接した旧郡部の陋巷に持って行くことにした。」

銀座に植えられ始めた柳を「田舎芝居の仲の町の場」と痛烈に批判し、「都人の趣味のいかに低下しきったかを知った」

東京が地方からの流入によって殺されていく只中の様子がよくわかる。

我々が思ういわゆる東京のイメージは、歴史的な東京人によって形作られたものではなく、集まってきた人々による混沌によって作られたのだろう。これを宮沢章夫は植民地東京と称していた。

そもそも我々が話す標準語は東京語ではなく、新政府が東京西部の山の手言葉を元にして作ったものである。日本語の息遣いが真にきこえるのは下町言葉のべらんめえ調にあるのかもしれない。

もはや絶滅間近だが・・・

あとがきで荷風は当時のエログロナンセンスへの疑問を呈しながら

徒党を組んで少数を叩きのめす当時の文壇の風潮をも批判している。

 「わたくしは元来その習癖よりして等を結び群をなし、その威を借りて事をなすことを欲しない。むしろこれを怯となしてしりぞけている。治国の事はこれを避けて論外におく。

わ たくしは芸林に遊ぶものの往々社を結び党を立てて己に与するを揚げ与せざるを抑えようとするものを見て、これを怯となし、陋となすのである。その一例。挙 ぐれば、かつて文藝春秋社の徒が、築地小劇場の舞台にその党の作品の上演せられなかったことを含み、小山内薫の抱ける劇文学の解釈を以って誤れるものとな した事の如きを言うのである。(中略)婦女子の媚を売るものについて見るも、また団結を以って安全となすものと、孤影悄然としてなおかつ悲しまざるが如き ものもある。銀座の表通り燈火を輝すカフェーを城郭となし、赤組といい白組と称する団体を組織し、客の纒頭を貪るものは女給の群れである。

風呂敷包みをかかえ、時には雨傘を携え、夜店の人ごみにまぎれて

ひそかに行人の袖を引くものは独立の街娼である。」

この時代、自分の意志で生活を選択し暮らすことを許さないようなムードがあり、それを鋭く捉えていたのかもしれない。

戦時体制への批判というよりは、江戸・明治東京の滅亡と堕落を憂いているのが荷風らしくおもしろい。

土地の区画や建物などの文化は残っても、それを形作ってきた人や風土の消滅はすなわち文明の死を意味する。

江戸から明治にかけて日本にやってきた外国人の視点から日本を見つめ直した名著渡辺京二さんの『逝きし世の面影』 を引用すると

「たとえ超高層ビルの屋上に稲荷が祀られ続けようとも(中略)新たな寄木細工の一部分として、現代文明的な意味関連のうちに存在せしめられているに過ぎない。文化は生き残るが、文明は死ぬ。 (中略)かつて江戸の空に舞っていた凧はいまも東京の空を舞うことのある凧とおなじではない。それらの事物に意味を生じさせる関連、つまりは寄木細工の表 す図柄がまったく変化しているのだ。新たな図柄の一部として組み替えられた古い断片の残存を伝統と呼ぶのは、なんとむなしい錯覚だろう。」

モノや理念という文化は残ってもそれを周りで意味づける人が変化すれば、その文明は死ぬ。

思いがけず、荷風の愛した東京と重なってしまった。

随筆、エッセイの形をとりながら、その中には構想中の小説の話を取り入れ、あとがきには都市批評文のような体裁をとる独特の筆致が織りなす都市物語。

終わりに、荷風は自身の周りの自然環境を静かに描写し、筆をおいている。

大切なものや本源的なものは実はモノなどの即物的なものではなく、案外小さな自然や四季を愛でることのような日常に転がっているのかもしれない。


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